ご無沙汰しております。田内洵也です。
皆様お元気ですか?
この度ウェブサイトがリニューアルしましたのでご報告させて頂きます。
今後とも田内洵也をよろしく御願い致します。
敬具
ご無沙汰しております。田内洵也です。
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敬具
タイ語で「気にしなーい」を意味する「マイペンライ」
中学時代をタイで過ごした僕自身、この言葉には今でも救われている。
この「気にしなーい」という翻訳はふざけているのではなく、実際にもそんなニュアンスで使われ、良い意味で緊張感ゼロの言葉である。
そんな色んな不安を取り除く魔法の言葉「マイペンライ」について語っていこうと思う。
不安は誰にだってある。しかしその不安は実態を伴っていない事ばかりだ。
人間は体験をしていない未来の事で不安を感じるらしい。過去に起こった事では不快になる事はあっても不安にはならない。
つまり何を言いたいかというと
まだ起こってもいない事に不安を感じるのは無駄って事。
明日隕石で地球が滅びようが、道端で犬の糞を踏もうが気にしないで良い。今を生きていればそれで良い。そんな「今」を攻撃してくる奴にだけ注意して、ケセラセラな日々を歩むべきだ。
これは真理だと思う。そしてこの真理を知っているからこそタイ人はマイペンライという言葉を生み出したのだと勝手に想像している。タイに深く浸透する仏教の教えもかなり影響していると思う(これについては後日書きたい)
現代の日本はこの辺の感覚が足りないと思う。
いや、足りていないのではなく正確には忘れている。
これは僕の持論だが、日本人はシャイな人が多いだけで根暗ではないと思う。お花見や屋形船文化を見れば分かる通り、どんちゃん騒ぎの大好きなラテン気質が根っこにあるのではないかと思う。
でなければ「ええじゃないか」は流行らないし、カラオケ文化は生まれなかっただろうし、江戸期に日本を訪れた外国人は「日本人はすぐ遅刻する」「いつも冗談ばかり言って笑っている」と書き残しているのだから多分そうだ。
僕がタイから本帰国してすぐの頃。タイと比べてとても緊張した空気の日本について、その理由を先生に尋ねた事がある。
「日本人は本来緩いから規則で雁字搦めにしないと機能しないんだよ」
そうだ、僕らは本来緩いんだ。楽しい事が大好きな民族なんだ。大事な局面だけ真面目に本気出して、あとは「マイペンライ」な生き方、どうですか。
「ええじゃないか 〜令和remix〜」誕生の瞬間である。
こんにちは。”Guitarman”田内洵也です。
まだまだ若輩者ではございますが、今日は年齢についてひとつ書いてみようと思います。
実は本日母が還暦を迎えまして、両親共に60代になった事を記念して敢えてこの話題にしました。
僕の両親は年齢の割にとても若く見える。
童顔家系な事もあるが、実際に元気なので何か秘訣があるのか息子なりに分析してみた。
食生活は至って普通だし、特に運動をしている様子もない。昔からの趣味がガッツリあるので新しい事もそんなに始めていない。
そこで気付いた事は「言葉」である。
多分とっくに老眼なのだがそれを言葉にしない。
「最近字が見えなくて…」「白髪が増えて」とか言わない。
その他にも加齢からくる現象をありのまま受け入れている。「最近の若者は」とか「昔は良かった」「いい歳して」とかテンプレート的な言葉は一切使わない。
年齢なんてものは目安に過ぎず、とても普通に過ごしている。
以前Twitterでこんな投稿を読んだ。
イタリア人は
たとえ40代50代でも
自分をオジサンとかオバサンとか
絶対思ってない
まだまだ若いっていう
で人生を楽しむ
それに比べて
日本人は30代が自ら進んで
オジサンですとか
オバサンですとか言う
自分で自分を
そうブランディングする
なぜ?
なぜそんなに
年老いた気分になりたいの?
これ本当にそう思う。
そう考えると僕の両親はイタリア人である。両親に限らず、僕の周りで若々しい人はみんなイタリア人である。僕もイタリア人から生まれたので、これからは年齢はあくまで目安と捉えて歩んでいこうと思う。
いらっしゃい、ネクストバースデー。
あ、明日からタウツィッオ・ジュンヤーニに改名します。そんな訳でイタリア・ローマのパブで泥酔しながら歌ってる動画をどうぞ。タウッツィオのイタリアでの初演奏です。ギターを持っていなかったので店のピアノで弾き語りました。雑なところだらけですが、この空間には年齢も国籍もなかった事は明白です。ボナセーラ。
11月は移動がとても多かった。
長期の旅行を除けば今までで一番の移動距離でないだろうか。
そんなこの一ヶ月を通して、ある事に気付いた。
移動する事によって、いつもとは違う環境に身を置き
その土地の人たちと出逢う事は、新しい刺激である。
それは心にとってとても良い作用がある。
そしてその作用は、移動からくる疲労を上回る。
これは人によって違うと思うが、
少なくとも僕の場合、移動する事が性に合っている。
今後もどんどん移動が増える。
そんな近い未来に乾杯を。
そして行く先々でお世話になった人たちに感謝を。
明日も移動は続く…
今回のタイで最も貴重な体験のひとつがゾウ。
そう、あのゾウです。ゾウに乗ったんです。
ゾウに乗る事で色々な事を学びます。
ゾウの落ち着き、ゾウの余裕、ゾウの力強さ。
すべて僕が持っていないものではありませんか。
しかしこんな巨体で我々と同じ哺乳類ですから、自然というのは不思議なものです。
この巨大生物が確かに野生に存在している事が信じられません。
もし自分が探検家で、東南アジアのジャングルで野生のゾウを目撃したら…
それは映画「ジュラシックパーク」と同じような衝撃です。
タイでゾウは神聖な生き物とし崇められておりますが、
その理由がわかったような気がします。
次の人生の目標は
イルカと泳ぐ。
です。
ある日の思いつきで企画したタイ王国のバンコクライヴ。
友人達のお陰で無事歌い終えました。ありがとうございます。
バンコクに住んでいたのは12歳から15歳の三年間。
もう15年以上経ちますが、未だバンコクに行くと昨日の事のように感じるのです。
海外という特殊な環境と思春期だった事もあり、
僕の人生においてとてつもないインパクトを残しました。
バンコクにいなければ音楽をやっていたかも分かりません。
当時街中で演奏していたすべてのタイ人ミュージシャンが僕の憧れであり、先生でした。
そんなバンコクから帰る時に不思議な感覚をおぼえました。
どんなに素晴らしい国であっても、やはり母国日本に帰る時というのは嬉しいものです。
「味噌汁とおにぎりが待ってるぜ」と意気込みながらワクワクで飛行機に乗るのが常です。
しかし今回は違いました。
なんだか物凄く寂しい。
旅の内容が充実していた事は関係ありません。
まるで春日井から東京に来た時のような切なさがありました。
僕にとってこの街は本当に第二の故郷なのだと改めて思いました。
そんな想いを抱きしめて日本で頑張ろうと思います。
さよなら、また。
先日偶然にもアメリカ人の大学教授とお会いする機会がありました。
僕の歌っている店にご家族で来られていて、
掛けられたギターを見て「一曲聴かせてよ!」と話が弾み、
シカゴ出身の方だったので、シカゴの歌を演奏しました。
とても喜んでくださり、日本滞在中にもう一度演奏を聴きに来てくださるとの事でした。
後から聞くとなんと脳科学の世界的権威。
本当に凄い方だったそうです。
一体どんな情報があの人の頭に詰まっているのか
想像もつきません(笑)
とても気さくで優しい方でした。
音楽をやっていると本当に色々な人と話ができます。
これは醍醐味のひとつです。
秋が来て町中に金木犀の香りがします。
この季節好きだなー
花の香りがするってとてつもなく贅沢だと思いますね。
ただ息をするだけで素晴らしい。
お金を使わなくても「生きてる」って感じます。
もともと花を摘んで誰かに渡したり、
自分の住処に飾ったりした事が文化のはじまりのように思えます。
どれだけ科学が発展しても花の香りは変わりません。
そんな感動の気持ちを残すために昔の人は絵を描いたり、
俳句に残したりしました。
曲にだってできる筈です。
さて芸術の秋ですから、いっちょ気合入れて作りますか!
「記録より記憶」という言葉がありますが、
記録があってこその記憶もあります。
僕が思うに音楽は「記録」であり、
人の記憶を蘇らせるのにとても有効なツールです。
写真や動画も同じですね。
写真登場以降の歴史はより生々しく後世に伝わります。
そんな中でカメラを買いました。
今後の音楽活動だけでなく、人生の記録をする為に!
というと大袈裟ですが、暫くは写真小僧になります。
ちびまる子ちゃんに登場する、たまちゃんのお父さんばりに撮っていきたいと思います。
ハイ、チーズ。
今日は趣味の話です。
僕の周りにはモデルガンを所有していたり、
プラモデル作りに洗車や、バイクの整備、楽器収集、演奏に全力な大人が沢山おります。
この人たちを見ていて思うのは最高にクールだという事です。
何歳になっても少年のような心で生きる。
まるで隣町のおもちゃ屋へ自転車で行くかのようなノリで
県境や国境を越え、最終的にはそれが仕事になっている人もいます。
そんな今日はネット上で見つけたある文章を紹介したいと思います。
______
夏休みに自転車でどこまでいけるかと小旅行。計画も、地図も、お金も、何も持たずに。
国道をただひたすら進んでいた。途中大きな下り坂があって自転車はひとりでに進む。
ペダルを漕がなくても。何もしなくても。
ただ、ただ気持ちよかった。自分は今、世界一早いんじゃないかと思った。
子供心に凄く遠いところまできた事を知り、一同感動。滝のような汗と青空の下の笑顔。
しかし、帰り道が解からず途方に暮れる。不安になる。怖くなる。いらいらする。
当然けんかになっちゃった。泣いてね~よ。と全員赤い鼻して、目を腫らして強がってこぼした涙。
交番で道を聞いて帰った頃にはもう晩御飯の時間も過ぎてるわ、親には叱られるは、
蚊には指されてるわ、自転車は汚れるわ。
でも次の日には全員復活。瞬時に楽しい思い出になってしまう。絵日記の1ページになっていた。
今大人になってあの大きな下り坂を電車の窓から見下ろす。
家から電車でたかだか10個目くらい。
子供の頃感じたほど、大きくも長くもない下り坂。
でもあの時はこの坂は果てしなく長く、大きかった。永遠だと思えるほどに。
今もあの坂を自転車で滑り落ちる子供達がいる。楽しそうに嬌声を上げながら。
彼らもいつの日にか思うのだろうか。
今、大人になってどれだけお金や時間を使って遊んでも、
あの大きな坂を下っていた時の楽しさは、もう二度とは味わえないと。
もう二度と、友達と笑いながらあの坂を、自転車で下る事はないだろうと。
あんなにバカで、下らなくて、無鉄砲で、楽しかった事はもう二度とないだろうと。
______
これを読んで最初に僕は感動しました。
確かに少年時代の思い出は格別です。
でも時に大人はそれを上回る楽しさを持っているとも思えます。
何歳になっても友達ができるし、坂道を自転車で下る事は気持ちが良いです。
更に
打ち上げにビールと餃子がある。
門限に関係なく語り合える。
地球上のどこまでも行く事ができる。
子供に負けるな、全力で
バカで下らなくて無鉄砲な日々を
よっし、そんな曲書きますか。